徳川家康のが天下を取り、江戸時代が始まりました。
江戸時代はどんな時代だったのか、そして徳川家はどうやってこの長い江戸時代を築いてきたのか、、、
今回も中田敦彦さんのYoutubeで振り返ってみましょう。
あっちゃんの解りやすい解説なので、ぜひ最後まで見てみてください。
動画
【日本史⑧】徳川家康のパーフェクトコントロール!そして明治時代へ
動画の要約
※完全文字起こしではありません。詳細の確認をしたい場合はぜひYoutubeをご覧ください。
(江戸時代は)「パーフェクトコントロール」
これが分かると、国を治めるってなんだろうっていうことに 向き合うと思うんですね。
やっぱりその、会社を興したりさあ 自分たちの仲間を幸せにするという 大きな業務が待っているわけなんですね。
それに立ち向かう方法を知るために、僕はね 日本史ってのはあるんじゃないかと思っているんですよ
江戸時代初期は武断政治
まず最初は武断政治。厳しくいきます。タイトに締め上げます。
「お前達、江戸幕府の言うこと聞けよー!」とやるんですね。
これが上手くいってるから、「まあここまで続いたんじゃないですか」と言われていますね。
武士のコントロール
それがまず、武士達へのコントロールだよね。
二つのダブルコントロールが効いているんですよ。家康のダブルコントロール【武士&農民】
■監視と配置
武士のコントロールは、監視と配置が上手かった。
有名ですよね、外様とかね 親藩・譜代とかと。後から味方になった奴は、遠くに配置します、っていうシンプルなんだけど今までやんなかった!
今までは住んでるところで叩いたり色々していたでしょ。
そうじゃなくて、「お前はなんか後からだから遠く。お前も遠く!」ってやってく。
遠くにやっていくっていう作戦。
プラス、その遠くに置いた上で、近くに幕府の 直轄地を置いて、監視もしておくわけですよ。
だから、すごい遠くに引っ越させた上で、 ずっと見ているっていうね。
「うわー、凄く見られてんな」みたいな「監視カメラ 付けられてるなあ」ということが一つあります。
■財力の削減
そして、もう一つが財力の削減、そして武力の削減。
財力の削減が上手いんだよね。
「結局お金持ったら反抗するじゃん!適度に削ったらなんねー!!」これなんですよ。
怖いよね。生かさず殺さずという言葉、まさにここに当てはまるんじゃないんですか?
だからね、色んな理由付けてね、 お金を使わせるわけですよ。
まずは参勤交代ね。
一番有名な、家光の頃に完成したと言われる、
「江戸までご挨拶に来て下さい、パレードで」 って奴ですよね。
「わあ、何だかわかりませんがパレードで、すごいお金かかりますけども、これ何なんですかあ」
・・・ただ金を使わせてるだけ、ということなんですよね。
そして、あの普請役っていって、江戸の幕府の持っている建物の修理を、費用を、まあ徴収するわけですよ。
「修理代はあなた方が出してね」
「なんでオレ達が?!」
「いやいや、だってオレ達はさ、江戸は、みんなの平和を守るわけだから、ね、だから生徒会ですよ。生徒会のための物ですから、皆で出し合いましょう、ベルマーク出して下さい」
みたいな、
そういう感じで皆のためにみたいな感じで、お金をとにかく使わせる。
それは参勤交代というパレードと、修理代ですね。
■武力の削減
そして武力の削減。これもあった。 これは一国一城令というのがあります。
「もう、一つの国には一個の城しか 造っちゃいけませんよ」という条令。
まあ、今でいうとほらさあ、 あの核不拡散条約みたいなね。
核はこれぐらいしか持っちゃいけない、みたいな!この国しか持っちゃいけないとか、 あるじゃないですか。
ああいう、武力を限定する条令ですよね。
一国一城、参勤交代、普請役、そして外様。
この配置の仕方、かなり上手いですね。
ええ、削ぐんです。 とにかく削ぐんです。普通、力付けさすんですけどね。。。
でも、日本史分かってると、公地公民制が崩れて、墾田永年私財法になって、全員に土地を自由にやっていいよ、その方が活気づくから!!
の結果、強い奴と弱い奴が現れて、弱肉強食が 始まるわけじゃないですか。
だからそうはさせない。 全員をほどよく疲れさせるというね。
ほどよく疲れさせる、凄いですよ。 大変なことです、これは。
農民のコントロール
そして、農民もそうですね。 これも歴史を上手く知ってるよね。
ホント、日本史分かってる人が作ってる!もちろんそうなんでしょうけども。
土地売買禁止令と、分割相続禁止令。
土地を売買させないことによって、こいつだけが凄い土地持ってるとかっていう強力な人間をなくした。
プラス、分割相続をすることで、 どんどんどんどん零細農家になっていっちゃう、
「うーん、5人子どもを生んだから、もう土地五分割」
そういう事がないようにする。
その上で、五人組制度。
これ有名だよね。五人組で密告させ合うっていうね。
「あいつがなんか、なんか悪いことしてましたよ」
って言うと、それで、連帯責任になっちゃうというね、この仕組みですよ。
いやー、上手く出来てる。これはだから、現代の企業でもこういう企業あるんじゃないですか。
ほどよく社員を疲れさせてたりね、生意気を言う奴は遠くにね、遠くの支店に飛ばしたりとかね。
色々理由をつけてね、飲み会に参加させて徴収したりね。
「社長のパーティーですから、プレゼントは 1万円分持ってきて下さい」みたいなね。
参勤交代みたいなことやってね、「うー、なんか削らされてる」って、、、
月給もそんなに高くないのに、なんか削らされてるとかってね。
武力はあんまり持たないように、みたいなね。
「それぞれで考えるのはいいですけども、副業は禁止ですよ」みたいなね。
それぞれが独立して出て行かないようにしてた上で、 社内で上手く搾り取りながら、生かさず殺さずの給料をやり、 その生意気を言ったら遠くへやりという、まさに今の企業のやり方じゃないですか。 あなたの企業はどうでしょう。ww
そうですよ。もしかしたら、 元祖ブラック企業かも知れないですよね。
それくらいに、パーフェクトコントロールが 効いているんですね。
家の取り潰し武家諸法度
その上で、この武断政治が凄かったのは、まあ家のお取り潰しが多かったってことです。
百何十個もの家が、この武家諸法度ってルールで潰されてしまう。
ちょっとでもミスったら「あれえ~?(ルール破った?)」なんつってね、潰されちゃうんですって、家ごと。
全部。その、その領地全部奪われちゃう。もしくは強制転勤になってしまう。
だから「城の修理は、ちゃんと言って下さいね」ってのがある。
一国一城令で城は厳しく管理されてる。
城を上手く 強化しようとする奴は謀反の気ありということで、城をちょっとでも修繕したら
「あれえ~なんか言わずに修繕してませんか」
「いやいや、ちょっと、ちょっと城壁が崩れたんで急場で修理しただけですやん!そんなに言わんでもええじゃないですか」
「修理は、ええと許可出てます?」
「いやいや、昨日の今日でしたから、ちょっと直した だけですよ」
「謀反の気あり」ボーン!!
潰しちゃうんですよ。。。
ズバンズバンって潰して、「謀反の気あり、謀反の気あり」って、厳しめにですね、一罰百戒、見せしめとしてどんどん潰していく。
ただ、これがですねえ、この乱を生むんですね、由比正雪の乱(慶安の変)っていうね。
由比正雪の乱(慶安の変)
これあの「牢人」って言われる。
お取り潰しにあった武士達の事を、牢屋の牢と人で、牢人というらしいんですよ。
この牢人集団が、
「おお俺もお取り潰しだよ。 江戸幕府なんなんだよ、おい」
「オレ支社長だったんだぞ。 支社ごと潰して、何だよ。。。ちょっとさあ、トイレ修理しただけじゃん!ウチのさあ、オフィスのトイレ、 ちょっと修理しただけじゃん!
「や、オレもだよ」
「車のさあタイヤがパンクしたから直したらさ、 お取り潰しだよ」
「オレもだよ」
「オレもだよ」
それで集まって、
「お取り潰しやり過ぎだろ!!」って由比正雪とか集まって、乱が起きるっていうことがあって、それはもう鎮圧するんだけども、
「あ、ちょっと やり過ぎたかもしんないね」(という思いが出てきて)
文治政治というね、ちょっとルーズな方に行くわけですよ。
文治政治
ここで利用されてくるのが、この新井白石を代表とする、儒学って教えなんだよね。
儒学ってさ、世界史でやったじゃないですか。
春秋戦国時代に色んな教えがあって、その中に儒教という教えがね、隆盛するわけだけども、、、
いったらまあ、「年功序列」とか「仁義」とかそういうのを大事にする教えです。
これが何で江戸で重用されたか!?
それは、権力の維持に非常に フィットしてるからなんだよね。
つまり、「上司に逆らうのって なくないですか」
「目上の人に逆らうのって、なくないですかぁ」
っていう教えなんですよ。
礼儀が大事じゃないですか。目上の人にはキッチリと、反抗はしない。
この年功序列の教えが メチャメチャフィットするのはいいねと。
でもなんで、その教え採用したか!?
仏教って教えを ガンガン潰しちゃったからだよね。。。
仏教って教えでさ コントロールしてたけど、仏教っていう教えが過激化してきて、それをボコボコにあの魔王がいて、「焼いちまいなー」って言ったあの魔王がいたから、仏教の教えというのは、 武士とは水と油になっちゃったわけですよね。
そんな中で、儒教という、 そっちの方から取ったわけですよ。
儒教の中でも、朱子学と陽明学 というのがあるらしいんだけども、ここも結構面白いよ。
朱子学はもう体制側なんですよ。
陽明学は、どっちかというと 朱子学よりも反体制側だから、
朱子学がガッチリ、もうこの合ってるわけですね、幕府側にはね!
秩序を保ちましょう。礼儀を重んじましょう。
だからこの頃から 「武士は武芸に励め」っていうところから、「武士は忠義の者であれ」 って教えに変わってったんだって。
面白いスライドだよね。 強いのが武士だろうってことじゃじゃなくて「仁義」「Heart」が武士だろう。分かってるんしょ!!って言う風に変えてったんですって。
でその結果起きたのが、あの赤穂浪士の事件よ。
赤穂浪士の討ち入りって、敵討ちじゃん。
敵討ちってのは、この頃、儒教が流行りに流行ったから、めっちゃOKなことだったの。要するに、主君のために家臣はつくす。 「これが正義だ!」の行き過ぎたのが、「主君の敵取ってやれ!」って事なんですよ。
だから、赤穂浪士の事件は、御上も知っていたけど黙認してたって説があるんですよ
で、赤穂浪士の「うわ、最高じゃん、彼奴ら。 復讐果たしてよぉ」
って民衆にも大受けしたのが、この儒学が効いてたからなんだよねえ。
(それで)儒学の世界になって行くわけですよ。
で、こうやって、強く緩くやってったんだが、 ジワジワと段々ね、やっぱり厳しくなってくるのが【財政】ですよ。
お金が足りなくなってくる。何でって、もうぶっ潰してるからね。
色んな所ぶっ潰して、お金無駄に使わせて減退化させてるがゆえに、全体のコントロール、今度はちょっと盛り上げないといけないわけじゃないですか。
「もうちょっとお金稼いで、みんな!!」っていうね、ぐっとしなきゃいけない。
ここで出てくるのが徳川吉宗。 これ、享保の改革。
享保の改革
この時代は財政再建の時代です。
財政再建と、徳川の権威が大分経ってきてるから、
「家康様って何だっけ?」 もう伝説の人になってきているわけですよ。
オレ達の世代の伝説のロックバンドでも、若い子に聞いたら「へえ、ああそうなんですね」 みたいなときあるじゃない。
「あのバンド、知らない人いないぜ」
「あの曲、知らない奴いないよ、 絶対知ってるよ」っていうときにさ
「ああ、そういう人いたんですね。」みたいな 僕たちにとっては米津玄師さんが最高です」みたいな
「そうだけど。。。いたんだよ!色んなカリスマアーティストがいたんだよ!」
ってなるわけなんですよ。
そう言うさ時代になっちゃって、段々薄れていくから、いやいや、あの徳川ってのは凄かったんだよ、っていう権威復興と財政再建っていう、復興の時代に入る。
でも、それが上手くいかないことが続くんですよ。 吉宗もがんばった。田沼意次もがんばった!松平定信もがんばった!色々締め上げて倹約させても「重商主義」っていって 田沼意次が金持ちを優遇しても「いや、やっぱり倹約だ」って松平がやっても、なかなか上手くいかない。
なかなか上手くいかないときに、 (上手くいかないの)とどめを刺したのが、この徳川家斉。
大御所時代
こいつ(徳川家斉)は無茶苦茶面白いんだ。
この人ね、奥さん40人いたんだよ!!40人いて、なんと、55人子ども産むからね。
55人だよ。FIifty-Five、凄いことだよ。
もう、この家斉は、もうホントに 将軍職を引いても、まだ権威を保った上で、「オレが一番」ってやった上で長いこと浪費しまくったわけ。
「もう知らんがな、もう。倹約なんやかんや 君らやってたけど、結局上手くいかへんやろ!もう呑んだったらええねん。 Party Night!イェーッ!美女、Come on!」
って言うさ、凄いのよ、家斉。
【オレまだ将軍やめても偉い人】っていう、もうパリピだよね。すげえパリピで 「イェーッ!」なっちゃってて、もうそれでもうさ、40人の奥さんと 55人の子ども達っていうね、全員でなんか分かんない、記念写真 撮ったんでしょうか?分かりませんがww
全員奥さん、全員子ども達みたいな、、、、
家斉のせいで、まあ、かなりダメージを喰らいまして、もう無理だろう、この「もう無理です期」「江戸幕府ボロボロです期」になって、それで慶喜の時代が来て、立て直しを計るんですが、その頃ね、家斉の後くらいにペリーが来るわけですよ。
大政奉還
家斉の次の家慶って辺りでペリーが来て、それまでは貿易っていうのは鎖国鎖国って言うけど、今のね教科書では鎖国って事はあまりないんですよね。
実はですね、4箇所ぐらい貿易の拠点があって、幕府直轄が長崎だったのかな。
でもその、アイヌとも中国、オランダとも琉球とも、色々と貿易はしてましたよってことがあるわけ。
でも、日本人が海外渡航するのは禁止とか、色々コントロールはあったんだけど、貿易はしてたっていうことなんですよ。
閉じてたけど窓口を作って開いてたという、言ってみればそれもパーフェクトコントロール!コントロール貿易だったんですよ。
最初はさ、大航海時代のスペイン、ポルトガルが来るんですよね。
だけど、スペイン、ポルトガルは、 結構最初の方、閉め出されちゃう。
何でかというと、スペイン、ポルトガルの 大航海時代の時はキリスト教の布教もセットだったんですよ。
「貿易してくださーい。そして、キリスト教を 布教させてくださーい」というのがあったの。
でもその後からやって来た オランダがずるいんだよね。
オランダだけで来て、
「あのお、日本さんてあのポルトガルさんとスペインさんとも、お取引なさっているんですよね?」
「ああ、そうなんですよ、上手くやらせてもらってます」
「あの、なんかキリスト教うんぬん言うてますけど、それは、それもしょうがないなということで」
「それはまあ、ポルトガル製のやつが 美味しいんですわ、非常にね」
「いやもちろん、ポルトガルさんもね、スペインさんもいいんですけど、うちオランダはね、んー特典が1個ありましてねえ。。。キリスト教は 布教しなくてもいいという事なんですよ」
「ヨーロッパなのにぃ、いいんですか!」
「その上でちょっとお話あるんです、一個ね。。。」
そして、そのオランダがとった作戦が、キリスト教の布教は、国家の治安を乱すって噂を流すのよ。
「スペインさん、ポルトガルさんねえ… いい人なんですけど…あれのさばらせるとヤバイらしいですよ。。。キリスト教バーッやったらね、国ガーなって、もうバゴーンやられるらしいですよ」
「ああそうなんですか!!!?」って、スペインと ポルトガルとの交易を禁止するの。
まんまとオランダがね 日本との貿易を独占していくというね。
で貿易はしてたわけなんですよ。
だけど、そこをこじ開ける奴が現れるわけね。
ペリーだよね。
もう有名な、あの9対1のヘアースタイルのペリーが「ハロー」ってね。「U.S.A.」ってね。
U.S.A.からやって来たっていうペリーが、開国してくださいって来るわけですね。
なんで開国して下さいって急にアメリカから 来たかご存じですか!?
あれも面白いんですよ!!
あのアメリカでは、当時産業革命によって 油を無茶苦茶使ってた。
クジラの脂を使ってたんですって。
で、捕鯨船を、ここまで捕りに来てたんだけど、それのね、捕鯨船の停泊地がなかったのよ。
「もう作れ作れ、作らなあかん、 油がもっと足りんのや!クジラの脂使うんですわ!!」
があった上で、
「脂を捕るための補給地、あそこあそこ、開国して 下さーい!」
って、こういうことだったらしいんですよ。
それでアメリカが来て、バーンと門戸が開かれるまでは、オランダが独占していた。
だから、鎖国ではなかったって説がある。
このね、何とかだったっていう説が今は定説ですが、結構このね、エクストリーム授業の コメントですごいある。
凄い来るんです、こっちが新説とか、凄い来る。
これに関しては、もう大変。
いや、だってさ、だってね、もちろん新しい説って いうのは正しいのかも知れないんだけど、ま、何だろなー、ちょっと勘弁してほしいってところもあるんだよね。
いや、オレさ、「そんなに?」ってこれ見てさ、「そうかあ」って見たらさ、その、初版が97年で14年、2014年、13刷発行だから、5年前っちゃあ5年前なんだよ。
だからまあ確かにちょっと古い説もあるのかも知れないけども、そこはまあ、自分で選び取って、コメント見てね。だからコメント欄とセットで読むと 面白いかも知れない!
信長のあの三段構えの銃だって、 なかったかもって言われてるんだよ。
実は3千丁の銃って言われているけど、 本当は千丁で、あの日は嵐だったから整列できなかったはずだぞ、とかってね。
それでね、こっちは諸説ありとか言われるからさ、もう ホントにオレ1秒毎に諸説ありと言わなきゃいけない!!
諸説あるのは前提としてね、まあもしかしたら 古い説かも知れませんけど、ちょっと皆さんのお力をお借りしてですね、なんとか真実に近づきたいと思います。
その上で、どうですか、戦国、江戸と、 このイノベーション・スリー!!やっぱ、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、面白かったでしょ。
その上でそれを大政奉還していく。それがどうなるか。 これ、変わってくよ。
日本の姿が全然変わってくるんですよ。
江戸時代から明治に・・・
この江戸の頃に、北海道と沖縄どうだったのって話。
さっき、ちょっと言ったでしょ。 アイヌや琉球とも貿易してたって。
そう、つまり、まだ日本じゃねえんだよ。 日本じゃないんすよ。蝦夷地には、松前藩ってところが 貿易相手としてやってたし、島津氏がね、薩摩の島津氏が、琉球で 首里城を一回占領したりとか、ちょっと爪はかかってる感じなの。
だけど、まだ、ここどうしたらいいのかなー ってところは、決定していなかった。
つまり、北海道や沖縄が日本になって行くのは、 明治からなわけですよね。
ここなんですよ。明治で一気に洋服も入ってきますよね。
もう全部変わってくるわけですよ。明治政府が全てを変える!
その、明治維新というものが、日本を近代化させたっていうことは、世界史的にも影響をたくさん与えているじゃないですか。
東南アジアに衝撃与えたし、中国にも衝撃を与えた。
いち早く欧米化した日本。その日本が、いよいよ、 今のオレ達の見ている日本の形になってくる。
北海道、沖縄、そして洋服。さあ、もうオレ達の時代が、目に見えてきたわけなんだよ。
さあ、オレ達が生きている、今この令和。 令和も日本史の中なんですよ。
オレ達も日本史の登場人物だということが、 ジワジワ実感として現れてきましたね。
エクストリーム授業、まだまだ続きます。
ということで、ではまた!